ゴミ好き日本とゴミだめアメリカ

最近街中でとてもゴミを多く見受けられる。
歩道の少し出っ張った壁に空き缶が置いてあったり、菓子の袋が向こうから飛んできたり、道路にたくさんの吸殻があったり、駐輪中の自転車のカゴにまで缶ジュースが捨てられたりと。
電車の席にも菓子の袋や酒の空瓶が置かれており、それを見るたびに、「あほか。。」と呟いてしまう。
どうしてゴミ箱に捨てることができないのか。ゴミ箱が周りにないなら、そこまでゴミを運ぶのは当然のことだろうに。自分の座っていた電車の席にゴミを置いたまま、電車を降りるなんてもっての外だ。
では、このようにゴミの問題が悪化しているのか、本質をさぐると。

人は自分の土地を愛するようにできている。自分の家や土地を愛し、自分の育った故郷を愛し、自分の生まれた国を愛す。どこの世界の人々も基本は同じだ。愛すからこそ、地域や国が生まれ、発展するのである。

自分の庭を汚そうとする人はいないはずだ。何故なら、自分の家や庭を愛し誇っているからだ。なのに、どうして街や電車にゴミを捨てることができるのか?
それは、自分の街や地域は我が物と考えず、他に属すだけのものとして愛さないからだ。
もし本当に自分の街や地域を愛すならば、いつも綺麗であって欲しいし、誇れる街であった欲しい。

私は以前、カナダ人から皮肉たっぷりのジョークを聞いたことがある。
「カナダ人は自然を愛し、きれいな社会を愛す。だから街にゴミはほとんど見かけない。私がアメリカに行った際、ゴミ箱が歩けばすぐの所にあるというのに、一人のアメリカ人はそのゴミ箱に向かわず、足元にゴミを捨てた。そうやって、ゴミ箱があるにもかかわらず街はゴミがあちこち落ちている。アメリカ人はゴミが大好物のようだ。」

私はそのジョークを聞いた時、自分の国を誇ることができた。
日本はマナーが高く、きれいな街並みだと自慢したのだ。
しかしながら、今の日本はどんどん悪いところまでもアメリカナイズされており、ジョンベネ事件で機内で容疑者が食べたものまで興味を向けるほど、頭が空っぽで何も考えることができない人々に近づいてきたのだ。

アメリカ国家を大きな声で歌って愛国心があると自負するより、広いビジョンで自分の街や国を愛せる人になる方がよっぽどすばらしいと私は思う。